投稿日時:2010/09/20(月) 12:00

街をぶら歩き -浜松市編

 浜松といえば、鰻、浜名湖とすぐに思い浮かぶが、意外と行ったことがない人が多いのではないか。僕も学会が開かれなければ行かなかっただろう。3年前の秋のことだ。僕は2泊3日で行くことに決めた。
 さっそく浜松の伊藤先生に電話する。伊藤先生は僕の医学部時代の先輩で同級生である。今では見かけることもなくなった「バブルの落とし子」のような豪放磊落な人だ。学生時代週に2回は一緒に遊んでいたが、とにかく好き嫌いが多い。好きなものはステーキ、揚げ物、寿司はトロのさび抜きしか食べられない。
 レストランに行くとこれもこれもととても食べ切れないくらいの注文をして、残す。タクシーに乗れば「つりはいらねえ」と言って降りる。いまどきこんな人はいません。
 でもものすごく面倒見がよくて、浜松では由緒正しい開業医の坊っちゃん。要は浜松は伊藤先生の縄張りだ。電話しないで行ったらその地に降りられない。
「よしあきさん(伊藤先生の名前)今度浜松の学会に行きます。よろしく。」「わかった。俺が全部やっとく。何時に来るかだけ教えてくれ。」
 この「わかった」という一言の中にどれだけの重さがあるかは僕はよく知っている。この中にはホテルの手配、一日3食3日分の食事の予約、駅から店までの交通手段、みやげなどすべてが含まれているのだ。
 久しぶりに伊藤先生に会えると思うと嬉しくなってきた。リハビリの関根君と受付の谷口君に「浜松行くぞ。」と声をかける。こういう時いつも僕は二人を連れていく。男同士で飲み食いするほうが気が休まるからであり、信頼も深まる。水戸黄門スタイルである。まあ関根君は角さんとしても谷口君は助さんというより八べえだけど。
  浜松に降り立ち、伊藤先生のおかかえのハイヤーに乗ること10分、一通の道などを行き来して繁華街の裏通りにある店の前で降りた。
 あーなんか昔からステーキ一筋で焼いている典型的なステーキ屋だ。いい雰囲気出してるなと思いながら、ドアを開けるといきなり「やあ、久しぶり、入ってくれ。」伊藤先生がいきなり目の前のカウンターに座っていた。金子教授も「よう松林、元気か」と言われて、「お久しぶりです。遅くなりました。」とひとしきり再会の喜びをわかちあった。
 既に二人は酔っていた。顔が真っ赤だ。「おめえら何食べる?好きなもの頼んでくれ。」といって伊藤先生が僕にメニューを渡すも「ここはステーキ屋だ。俺が子どものころから焼いてもらってる。ヒレとサーロインどっちにする。」と言って既にもうメニューは決まっているのだ。僕はサーロインでミディアムにした。関根君と谷口君も恐縮しながら注文した。
 伊藤先生は学生のころからの癖、へネシ―の水割りに氷を浮かべて、右手の人差指でくるくるタンブラーのようにかき回していた。
 金子教授は始めて会った関根君や谷口君にも敬語で応対している。立派な人だ、自分よりふたまわりも年下の人にこんなに優しく丁寧に接することができる人はそうそういない。
 ステーキが出てきた。やはりこのへんは松阪牛らしい。う、うまい、しつこくなくとろけるような柔らかい肉だ。既にボルドーの赤ワインが開けてありそれを一杯もらう。いやぴったりですね、肉と赤ワインは。特にステーキにはボルドーの方がブルゴーニュより合う。ボルドーはブレンドだがブルゴーニュは単一品種を使っている。脂っこい食事にはブレンドのほうがあうのかな?なんて考えていた。
 話は弾みこうして2時間が過ぎて伊藤先生「次に行こう。」夜はまだ始まったばかりだ。
 ステーキ屋を出て、浜松ホテルニューオータニのラウンジに着いた。ここでも伊藤先生は、常連でVIP扱いだ。おきまりのヘネシーを注文、僕はメーカーズマークのソーダ割りを頼む。ウィスキーのほとんどはこれにしている。他のバーボンより滑らかな舌触り、あのリステリン臭さがない。皆さんお試しください。他に大好きなのはほとんど手に入らないコーン100%のアメリカンウィスキーだが、これは忘れられない口当たりですよ。
 ちょっと気になって昔当院でリハビリをしてくれていた、関根君の師匠でもある岩本が歯医者になって浜松医大にいることを思い出した。電話してみる。「今浜松にいるから、飲みにおいで。」「先生、いきなりはないですよ。」と言いながらも、タクシーを飛ばしてやってきた。変わってないね岩本は、昔から飲むと僕にからんで説教までして、次の日に謝る。「じゃあ始めから言うなよ」と言うと、「僕しか先生に苦言を言える人がいますか。」と威張る。おもしろい奴だ。
 ここで金子先生は、ホテルに帰られた。伊藤先生は「明日忙しいからさ、次の店とまたその次の店は用意しといたから行ってくれ」と言って次の店まで送って帰って行った。でももう夜中の11時を廻っている。これから2件も梯子することが決められていた。
  浜松の一日目はこうして夜明けまで飲んで終わった。
 次の日は朝から学会に出席して、頭がボーっとする中ランチタイムになった。一日3時間睡眠でも何日でももつように鍛え上げてはいるが、やはり眠い。でもここは鰻の本場浜松だ。昼飯は鰻と決めていた。
 関根君と谷口君を連れて一番近い鰻屋(八百徳本店053-452-5755)へ出動。この店は創業は明治時代、たれもその当時からのものを受け継いでいるらしい。鰻重を頼んでみたが、たれが見た目は濃いが味はずっとさっぱりしている。これが100年以上続いている老舗の真骨頂かと思った。鰻は表面はカリッとしており中はジュ―シィーで凄く美味しい。やっぱりいいね歴史を乗り越えてきた味がここにあるなと感じた。(★★★★)ぜひ浜松で下車してでも行っていただきたい。
 夕方2時間くらいあいたので関根君と浜松を歩いてみた。街を知るには夕方、何の目的もなくぶらぶら歩くのが一番だ。人が少ない。目的を持ってせかせか歩く人はほとんどいない。地方都市によくある風景。
 パチンコ屋に入ってみるが、これも探すのに一苦労。巨大なホールに人がほとんど入っていない。しかも玉が出ていない。挨拶程度に千円だけ打ってみるが、ほとんど回らない。関根君「ここは出ないですね。」僕も相槌をうって店を出た。
 喉がむしょうに渇いたので喫茶店を探すがなかなかない。やっと昭和の面影が残る喫茶店を発見してアイスティーを頼む。わずか1時間で繁華街を回り切った印象だ。街で古びた喫茶店に入ることは極上の楽しみであることは皆さんにお伝えしておきたい。すべての文化はカフェから始まった。
  浜松も最後の夜を迎え、昼間食べた鰻の余韻に浸りながら、伊藤先生の指定、予約してくれた浜松プリンスホテルのステーキハウスにおもむいた。このホテルはプリンスホテル特有の豪華な造りで、昔の風情を残していた。ステーキハウスは別棟にあり一席5-6名ずつ座れる鉄板を囲むスタイルの個別席だった。豪華なサーロインを食べて満足感に浸ることができる。昨晩はステーキ、昼は鰻、そしてまたステーキとややカロリーオーバーだがあまり気にしないでおいしいものを食べることにしている。このステーキハウスには★★★をつけた。
 そのあと浜松の繁華街へ4人で移動。関根君、谷口君、そして准教授のS先生も合流してパブらしき店に入った。ビートルズが流れている。煉瓦造りの建物が情緒を醸し出す。ふらっと入った店だが、心地よい気分になる。隣の席では北欧系の留学生と日本人学生が和気あいあいと騒いでいた。ハイボールを頼んでボーっと4人で飲んでいたが、さすがに前の日寝不足と、腹いっぱいになったため2-3杯飲んで、もう帰ろうと言って店を出た。
 そして次の日朝学会に出て、浜松駅に行こうとすると伊藤先生が「昼、食ってく?」と言って電話がかかってきた。ニューオータニ浜松の中華でまた油っこいものを食べて、新幹線に乗った。みやげはうなぎパイ。
 浜松を後にしながら伊藤先生のことを考えた。親友であり、よくカラオケも一緒に行った。「22歳の別れ、歌ってくれよ。」と言って歌い始めるといきなりさびの部分で勝手にはもる。タンブラーは右手のひとさし指、宴の最後に必ず「また逢う日まで」を歌う。人に借りてでも全部おごる。そんな昭和とバブルの生き残りの伊藤先生は今も元気だ。
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