投稿日時:2024/04/05(金) 01:12
令和6年4月5日 2024年
ドクター松林の「待ったなし」
「僕が勉強をしなくなったわけ」第9回(すべての勉強を続けて行きたい人のために)
●一の子分がちょっと気の弱いうんてつで、二の子分は「やっきん」だった。この「やっきん」と は僕より年が2つ下の裏通りに面したクリーニング屋の息子だった。でももとは「やっくん」と 呼ばれていた、しかしながらいつの間には「やっきん」に変わっていった。なぜ変わったかとい うと、彼はおでこがでこっぱちだったから、突貫小僧のようにおでこが丸く飛び出てピカピカ光 っていたので、金ぴかというイメージで「やっ金」になったと思う。
●このやっきんは、猪突猛進タイプで初めは僕の敵であった。近所で遊んでいても何かにつけ文句 を言ってくるうるさい奴だった。でもこれは子分にすれば使えると思った。なにより、動きが速 くて鋭いし、先導できる海兵隊タイプである。心強いと思った。そしてこのやっきん、ある日僕 の軍門に下ることになる。ある夏の日、近くで祭りがあった。そこで子供たちの相撲大会をする ということを聞きつけ、僕も参加することにした。初戦がなんとやっきんだった。しめしめこ れでしこたま負かして力の差を思い知らせてやろうと思った。「八卦よーい残った」の掛け声と ともに、僕はやっきんを突き飛ばしていった。やっきんも必死に抵抗して前に出てきたところを 頭を押さつけてはたきこんだ。勝負あった。自慢の金ぴかのおでこは土だらけに汚れ、とことん 力の差を思い知ったようにうずくまっていた。僕はやっきんの腕をつかんで起こしてやりながら 耳元でささやいた。「明日朝から虫捕りに行くぞ」やっきんは僕を見つめ「うん」とうなずいた。
●これで二人目の子分ができた。次の日朝から昆虫採集に行き、やっきんの実力を確認できた。 セミが鳴いていると走ってすぐにその木の下まで行き準備してくれる。うんてつはのろまなので 走ってもついていけない。そこで僕が網ですくいとるわけだ。その日は豊漁でアブラゼミやカミ キリムシ、アゲハ蝶まで捕れて、家につくと子分たちにわけてあげるのである。子分たちは喜び 、必ず僕に「坊ちゃん隊長ありがとう」と言って家に帰ったものだ。そうそうみんなは僕のこと を「坊ちゃん隊長」と呼んでいた。うちの住み込みの看護婦さんたちが、いつも僕のことを「坊 ちゃん、坊ちゃん」と呼んでいたのを耳にしたのであろう。今は昔、坊ちゃんという言葉は死語 になりつつあるが、晴れた夏の日の淡い思い出の昭和40年代のお話である。
●6月27日の、ウェルカムエブリィバディコンサートで公演の三遊亭金太郎さん、 なんと和風マジックと曲芸の方も帯同してきてくれるそうです。
●開業以来24年間続いている心のこもった優しい在宅医療と交通事故専門外来の 仁整形外科
ドクター松林の「待ったなし」
「僕が勉強をしなくなったわけ」第9回(すべての勉強を続けて行きたい人のために)
●一の子分がちょっと気の弱いうんてつで、二の子分は「やっきん」だった。この「やっきん」と は僕より年が2つ下の裏通りに面したクリーニング屋の息子だった。でももとは「やっくん」と 呼ばれていた、しかしながらいつの間には「やっきん」に変わっていった。なぜ変わったかとい うと、彼はおでこがでこっぱちだったから、突貫小僧のようにおでこが丸く飛び出てピカピカ光 っていたので、金ぴかというイメージで「やっ金」になったと思う。
●このやっきんは、猪突猛進タイプで初めは僕の敵であった。近所で遊んでいても何かにつけ文句 を言ってくるうるさい奴だった。でもこれは子分にすれば使えると思った。なにより、動きが速 くて鋭いし、先導できる海兵隊タイプである。心強いと思った。そしてこのやっきん、ある日僕 の軍門に下ることになる。ある夏の日、近くで祭りがあった。そこで子供たちの相撲大会をする ということを聞きつけ、僕も参加することにした。初戦がなんとやっきんだった。しめしめこ れでしこたま負かして力の差を思い知らせてやろうと思った。「八卦よーい残った」の掛け声と ともに、僕はやっきんを突き飛ばしていった。やっきんも必死に抵抗して前に出てきたところを 頭を押さつけてはたきこんだ。勝負あった。自慢の金ぴかのおでこは土だらけに汚れ、とことん 力の差を思い知ったようにうずくまっていた。僕はやっきんの腕をつかんで起こしてやりながら 耳元でささやいた。「明日朝から虫捕りに行くぞ」やっきんは僕を見つめ「うん」とうなずいた。
●これで二人目の子分ができた。次の日朝から昆虫採集に行き、やっきんの実力を確認できた。 セミが鳴いていると走ってすぐにその木の下まで行き準備してくれる。うんてつはのろまなので 走ってもついていけない。そこで僕が網ですくいとるわけだ。その日は豊漁でアブラゼミやカミ キリムシ、アゲハ蝶まで捕れて、家につくと子分たちにわけてあげるのである。子分たちは喜び 、必ず僕に「坊ちゃん隊長ありがとう」と言って家に帰ったものだ。そうそうみんなは僕のこと を「坊ちゃん隊長」と呼んでいた。うちの住み込みの看護婦さんたちが、いつも僕のことを「坊 ちゃん、坊ちゃん」と呼んでいたのを耳にしたのであろう。今は昔、坊ちゃんという言葉は死語 になりつつあるが、晴れた夏の日の淡い思い出の昭和40年代のお話である。
●6月27日の、ウェルカムエブリィバディコンサートで公演の三遊亭金太郎さん、 なんと和風マジックと曲芸の方も帯同してきてくれるそうです。
●開業以来24年間続いている心のこもった優しい在宅医療と交通事故専門外来の 仁整形外科
