投稿日時:2023/11/03(金) 05:39

令和5年11月3日 2023年
ドクター松林の「待ったなし」

「僕が勉強をしなくなったわけ」第1回  
(すべての勉強を続けて行きたい人のために)
●僕は広島で生まれ公立小学校に行き、そして中学受験をして、当時創立19年目の新進気 鋭のカトリック校である広島学院中学校に入学した。小学校の時は普通に勉強していると つまらないので、『自由自在』や『応用自在』を買ってもらって家で勉強していたら1年 くらい先まで進んでしまった。だから授業は既に勉強したことの繰り返しで、仕方なくそ の日の宿題を授業中か授業が終わってから5分ぐらいですべて終えていた。学校が終わっ て友達の家に行くと、お母さんがいて「松林君宿題は?」と聞かれ「あ、もう終わりまし た」と答えると、「ほら松林君はもう宿題終わってるのよ、あなた何やってるの」と友達 が怒られるのを見てなんか気の毒に思った。だって家に帰る前に宿題が終わってるんだも の。友達の宿題が終わるのを待っている間に、お母さんの自家製パンを食べるのが好きだ った。とてもおいしかったから。
●小学校は4クラスあり各クラスのトップの将来を見てみると、僕を含めて4人とも広島 学院中学校に行き、そのうち2人は東大、一人は慶応医学部、僕が順天堂医学部という コースをたどった。とても優秀な小学校だったんだなと思う。小学校の時も、別に僕は 勉強が好きだったわけではない。遊ぶ方が1000倍は好きだった。十分に遊び、それ以上 に勉強したと思う。ただかなりの負けず嫌いであったことは確かで、今の成績から絶対に 下がらないように頑張った。そして中学受験の成績は180人中9番だったと担任から聞い た。これは結構きつい状況に陥った。負けず嫌いな僕は、絶対に9番から下にはならない と心に決めた。
●中学では文武両道の学校精神により生徒は必ず運動部に入らなければならない。僕は親の 言うまま軟式テニス部に入った。今思うと、この親の理由がへんちくりんだった。僕はサ ッカー部や野球部に入りたかったが、それは危ないしけがをすると勉強ができなくなると いう理由で一番安全そうな軟式テニス部になったのだ。おかしいでしょ、この理論。軟式 テニス部に入ったが、ものすごくつまらなかった。ほとんど素振りとランニング、あとは ボール拾いですべてが終わった。ボールを打たせてもらえない日々が何か月も続き、やっ とボールを打てたと思ったら、ホームランである。心底嫌になった。でも当時の僕はなん て素直だったんだろうと今つくづくそう思う。そして、この盲目的な素直さが後で反抗期 の時逆噴射する原因になっていたとは、当時の松林君にはわからない。       

●開業以来24年間続いている心のこもった優しい在宅医療と交通事故専門外来の仁整形外科  
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