やっぱり京都に行こう

 ここ1年半で、僕は人生48年分の46.5年分の経験をした。裏切り、悲嘆、憎しみ、友情、家族、出会い、愛、喜び、悲劇、復活、希望、不安、夢、こんなに多くのできごとが凝縮して押し寄せた。いや未だにその過程かもしれない。
 ただ、大病をせず怪我もなく戦争もない時代だからまだ良しとすべきかもしれない。こんな状況になると、さすがになんで自分はまっとうに生活して、努力してきたのにこんな目にあうの?と納得できない。運命だとかたずけられない。だから悶々としていた。
 この不可解な連鎖を解くには(京都へ行こう)と思い立った。古の平安京から現代にいたるまで京都には人々の生きざまが刻みこまれているはずだ。そう思った。
 新幹線で京都へ行き、まず紅葉がライトアップされている知恩院に行ってみた。なんと美しい光景だろう。黄色から真っ赤に染まったもみじの葉がライトに照らされ星空に溶け込んでいく。少し肌寒いが空気は澄んでいて息を吸い込むと頭の芯がしびれるようだ。知恩院から四条通りに出ると別世界のような平安の息吹きを感じる。なんと輝かしい街だ。
 そのうちお腹がすいてきた。誰も入っていない洋食店に入った。いきなり主人が出てきて、タバコは食後にしてください。シェフのお勧めコースがスムーズにでます。と矢継ぎ早に言われた。なんだか「注文の多い料理店」みたいなところに迷い込んだ。
 でもここのフレンチ半端なくおいしかった。パンも焼きたて、冷たいじゃがいものポタージュ、前菜、魚のソテーいずれをとっても一級品だ。こんど一度賞味されたほうがいい。Goutez(075-531-1430)四条通りを下りきり清水寺のほうに少し歩いたところにある。
  一泊して次の日も京都を散策することにした。でもまだ僕はこの京都で衝撃的な魂の出会いをするとは思っていなかった。ただ、紅葉をできるだけ人の少ない寺で観賞しようとくらいにしか考えていなかった。
京都、龍安寺、石庭
 京都の二日目、魂との出会いは偶然訪れた。万華鏡のような京都の夜を楽しんだ後、明日はどこに行くか地図を見ながら考えた。人があまり集まらず紅葉のきれいなところを探した。ふと龍安寺が目にとまった。
 龍安寺といえば石庭と衣笠山が映し出される池が有名である。僕はまだ行ったことがなかったし、嵐山も近いので龍安寺の拝観の後、嵐山に移動しようと考えた。いざ龍安寺へ着き、鏡のように衣笠山が映し出される池に行った。まだ衣笠山の紅葉は5分咲きだったが観光客は少ない。
 たっぷり寺院の紅葉を鑑賞し、本堂に入り目の前に石庭が広がった瞬間、パーっつと頭が真っ白になった。始め立って眺めていたが、その場の板の間に座り込んで石庭を見つめていた。石庭には石が15個ある。石の周りには波紋が広がっている。右から左にきれいに石が溝を作られて川のながれのようだ。右から左にその石の溝を追っていくとどこかで石の周りの波紋に巻き込まれる。石が近ければ波紋の間に乱れが生まれる。
 僕はこの庭に人生のすべてが凝縮されていると感じた。どんなに平穏な人生を歩もうとしても石の周りの波紋にぶち当たる。石は人であり、人と人が交われば波紋が乱れる。その波紋の中にぶつかると人の人生は巻き込まれていく。その渦に溺れるかうまく石の島に流れつくかその波紋を通り過ぎていくかは、自分の意図とは無関係の部分も多い。自分の意思とは無関係に、人生は出会い、別れ、喜び、悲しみが待ち受けていてどうしても受け入れなければならないことがあると感じた。一日中そこにいたかった。なぜか心が落ち着いた。
 この禅寺は日本史上でももっとも悲惨な乱といわれる「応仁の乱」のころに建立された。「人の世空し応仁の乱」と言われるほど都はすさんでいた。その空虚でどうしようもない人々の心にこの石庭は安らぎを与えたことだろう。またここには行こうと思った。今度は一日かけて石庭を眺めたい。
富川のぜんざい
  龍安寺を出ると目の前に富川(075-466-6675)という漬物屋を見つけた。京都の漬物は大好きだ。京みぶなと千枚漬けを買う。店内にぜんざいというメニューを見つけた。小腹がすいていたので注文したが、焼き餅が入っておりとてもおいしい、漬物ともよくあう。一度ご賞味されたし。
有馬記念、彼女は来ない
  今年の予想はさえていた。朝日杯は楽に的中。締めくくりは有馬だ。難しいなあ。ジャパンカップ、天皇賞の3着までの馬が出ない。G2レベルのレースだ。ということは、どの馬にもチャンスありだ。彼女とはブエナビスタのことだ。ブエナビスタはディープインパクトではない。幻想を抱いてはいけない。2500メートルを走り中山の急坂を乗り越えて差し切れる筋力はない。1着は別の馬だ。